雑記

「山月記」のあらすじ(現代語)と李徴が虎になった理由

「山月記」は1942年に発表された中島敦による短編小説である。多くの人が高校の国語の教科書でこの作品を読んだことと思うが、私もその例にもれず、授業のためにやむなく読んだのがこの作品との最初の出会いであった。出会いそのものはいやいやであったものの、「山月記」という作品は当時高校生だった私に十分な楔を打ってくれた。

今回はそんな「山月記」のあらすじを振り返るとともに、李朝が虎になった理由について考えていこうと思う。李徴はなぜ虎になってしまったのだろうか。

「山月記」の本文(青空文庫)はこちら

「山月記」のあらすじ(現代語)

あらすじ①:俊英李徴の失踪

中国の隴西(ろうせい)に住む李徴は、優れた頭脳と容姿を兼ね備えた俊英であった。そんな血帳は見事に官吏登用試験に合格し、地方の役人として江南に赴任した。しかし一地方役人として生きることを良しとしなかった李徴は、故郷に戻り詩家として名を馳せることを志した。

ところがその名を轟かせることは容易ではなく、次第に生活苦に陥り、自らの妻と子供の生活を思った李徴は再び地方の役人として働くことを決めた。しかしそれは積極的な行動というよりは、自分の才能への絶望によるところが大きかった。

李徴が故郷にくすぶっている内に同輩の面々は着々と官吏としての出世を果たしており、李徴は彼らの命令を聞く立場になっていた。自尊心の塊のような李徴がそのような状況に耐えられるわけもなく、仕事で訪れた如水(じょすい)ほとりの宿に泊まっていたある夜、発狂した李徴は宿を飛び出し夜の闇に消えていった。その後の彼の消息を知るものは誰もいなかった。

あらすじ②:朋友袁傪と虎となった李徴の独白

李徴失踪の翌年、彼の数少ない友人であった袁傪(えいさん)が、監察御史(かんさつぎょし)として商於(しょうお)の地を訪れた。その地域には人食い虎が出没するという噂が立っていたが、先を急ぐ袁傪はまだ暗いうちに出立を決めてしまった。案の定というべきか、袁傪は人食い虎に出会ったが、その虎は李徴の変わり果てた姿であった。

その奇っ怪な現象を不思議と受け入れた袁傪は、李朝がなにゆえ今の姿になったのかを尋ねた。自らの醜い姿を恥じて叢に隠れていた李徴だったが、旧友の問いかけに以下のように答えた。

一年前に如水のほとりに泊まった夜、ふと目が覚めると外から自分を呼ぶ声が聞こえた。その声に誘われて闇夜に走り出し、夢中で山中を駆け巡っていると、次第にその体が変化し、明け方にはその体は虎となっていた。

すぐにはその現実を受け入れることはできなかったが、受け入れるほかなかった。

そんな時、一匹のうさぎが李徴の前を横切る。次に気がついたときにはその口は血に塗れていた。彼にとって最初の虎としての経験であった。

それからというもの、人間としての時間と虎としての時間を過ごしてきた李徴だが、次第に人間である時間は減っていった。李徴はそのようにして人間としての自分が消えていくことを恐れ、悲しみ、切なく感じていた。

以上のように語った李徴は、自分が人間でいられる内にと、袁傪らに頼み事を始めた。

あらすじ③:李徴の願い

虎となった李徴の最初の願いは、自らが作りためた詩を書き取ってもらうことだった。彼は朗々と自らの旧詩を諳んじ、袁傪の部下はそれを書き取った。そのとき袁傪は、その詩の素晴らしさを認識しつつも何かがかけていると感じ取ってしまっていた。

旧詩を諳んじた後、彼は即席の詩を吟じた。袁傪の部下はその詩も書き取った。虎になってもなお詩を作った李徴の運命を、袁傪たちは嘆いたのだった。

すると李徴は、自らが虎になった理由について思い当たることを語り始めた。

李徴いわく、彼は人間であった頃、努めて人との交流を避けていた。はたから見れば尊大に見えたが、それはある種の羞恥心によるものであった。つまり、彼は自分が特別な存在では無いことを知っていたのだ。それでもなお、彼は詩家として名を成そうとしたのだが、誰かに師事することもなく、誰かと切磋琢磨することもなかった。それこそがまさに、彼の中にあった小さな自尊心によるものだった。

結果として世間との距離がどんどん広がり、自分の中にある自尊心だけが大きく膨らんでいった。その自尊心が虎だった。

その猛獣としての自尊心が、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、結果として自分を虎に変えてしまった。

このように語った李徴は再び人間としての自分を失ってしまうことを悲しんだ。

そうこうしている内にあたりの暗闇が薄らいでくる。李徴は自らが虎に戻らなくてはならないことを悟り、袁傪に次の願いを語った。

それは妻子のことであった。彼の現状を知らずにいるはずの家族に「死んだ」とだけ告げて、今日あったことは隠してほしいと李徴は願った。そして、家族が今後の生活に困らないように計らってほしいと袁傪に頼んだのだった。

袁傪は喜んでその願いを叶えると約束した。

そして李徴は最後の願いとして、この場を離れて百歩ほど進んで丘に上がったらここを振り返ってほしいと語った。彼は虎としての姿を見せつけることによって、袁傪が嶺南からの帰路に同じ道を通らないようにしたのだった。

袁傪は李徴に言われたように丘の上から振り返った。すると一匹の虎が茂みの中から道に飛び出してきた。その虎は激しく吠えると、叢の中に入っていった。それ以降その虎の姿を見ることはなかった。


以上が個人的にまとめてみた「山月記」のあらすじである。ここからは山月記のメッセージと李徴が虎になった理由について考えていこう。虎になった理由については本編で本人が語っているが、果たしてあれであっているのだろうか?そして「山月記」のメッセージとは何なのか?

「山月記」のメッセージと李徴が虎になった理由

人生は「期待ほどではなかった自分」との戦い

「山月記」のメッセージとして、もっともわかりやすいものは「人生の悲しみ」であろう。その人生の悲しみの本質は「自分は自分が期待したほど優秀ではなかったという現実」である。

それが李徴という主人公の人生として語られているのだが、彼にとって「期待したほど優秀でなかった自分」とは何だったのか。

序盤だけを読んでいると、それは期待するほど詩人として優秀でなかったと自分いうことになると思われる。しかし、物語の終盤を読むと李徴の絶望は、故郷に帰って詩歌を作る前にあったことがわかる。

つまり、彼にとっての絶望はすでに官吏として生きた日々の中にあった。李徴にとっての官吏としての日々は物語の第一文に以下のように記されている;

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自みずから恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、略かくりゃくに帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った

ここで李徴は「こんなくだらねえ仕事してられるか!」と、自ら官吏としての仕事を辞して詩家となる道を選んだということになっている。もちろん李徴は科挙に受かっているのだから、とんでもなく優秀な人物であるのだが、一度官吏になってしまうと、そこには科挙を通った人々に溢れていることになる。いつかの天才は今の凡人という現実がそこにあったのだ。

つまり、彼がその人生で最初に感じた絶望は「自分は官吏として出世できないという現実」だったのだろう。それでも自分の生き方を見つけられる人はいるのだが、彼の本質は「自みずから恃むところ頗る厚く」である。彼は自分が一番でなくては満足できなかった、でも一番ではなかった。別の表現をするならば

彼はとても優秀なだけで特別ではなかった。

このことについてわずかなヒントとして、次のような記述がある:

人間であった時、己おれは努めて人との交まじわりを避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それが殆ほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。

非情にわかりにくいが、早い話が自分よりも優秀な人間と交わることによって自らの凡庸さが露呈することを恐れたということになるだろう。結局彼は官吏としての自分に十分絶望していたが、それを表に出すことは決してなかったということになる。

そんな彼は現実逃避をして詩家を目指すのだが、彼が目指した「詩家」という生き方は官吏なんかよりよっぽど大変な生き方である。もちろん優秀な李徴は、それはそれは素晴らしい詩を残した。そのことは虎となった李徴の詩を聞いた袁傪が証言している。しかし袁傪が言うには:

しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。

つまり、李徴の詩は素晴らしいが魅力的ではないということである。

この「魅了」という本質は本質的に他者に所属するものであり、それを手に入れるには「他者」という存在と真っ向勝負で戦わなくてはならない。他人を見下して他者との交わりを忌避し、そういう戦いから逃げたのはまさに李徴の限界であり、本編で李徴が語った「臆病な自尊心」故であった。

ここまで考えると、作品のメッセージが1つ浮かび上がって来るだろう。つまり

若者よ、他者を否定することは自己肯定と真逆のことである。自分に何が足りないのかという問題と真っ向勝負で戦わなければ、君はいつか醜い虎になる。他者を貪るだけで、何も生み出せない存在に

である。そして李徴が虎になったのは「小さな自尊心を肥大化させたから」という本編どおりの理由に落ち着くものと思われる。

自虐はマウンティング

ここからはもう一つのメッセージを探って行こうと思う。ポイントは、物語の後半で李徴が行う自己分析である。

彼はその自己分析の基本的な結論は以下のように語られている:

己の珠(たま)に非あらざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦に伍することも出来なかった。

つまり「自分が特別な人間でないことが分かっていたが故に自助努力を怠り、それでもなお自分の特別さを信じていたから普通の生き方もできなかった。」ということである。前半部分は分かりづらいが、「努力しても結果が出ないという事実を発生させないようにして現実逃避した」とも言えるだろう。

確かに自己分析としてはあっているのだが、問題はその語り口である。それこそなんとも尊大で、結局のところ「こんなに自分のことが分かってるオレって優秀だろう~」と言っているようなものである。

家族について袁傪に頼んでいるのも「そこんとこもちゃんとわかってまっせ」という自己アピールに思えてならない。彼がいの一番に家族について語ったのならこうは思わないのだが、結局彼にとっていちばん大事なのは自分であって、自分の帰りを一年以上も待っている家族ではない。

李徴の姿をみてわかるのは、実のところ自虐もマウンティングであるということだろう。「こんなに自虐ができるくらい世の中のことや自分のことが分かっている」という自らの知性を誇っているに過ぎないのである。

そしてそんな李徴は「語る側」として描かれる。自虐マウントをするには「語る側」に立たなければならないからであろう。

それと対象的に描かれているのが袁傪である。彼は「語る側」ではなく「聞く側」にたっており、それ以上に「受け入れる側」に立っている。李徴のみに起こった怪奇現象をすぐに「受け入れた」のも袁傪のそういった物語上の立ち位置を明確にしている。

人生そのものも対照的で、袁傪は李徴とは違い官吏としてのキャリアを積んでいる。妻子を露頭に迷わせることもないだろう。

このように考えたときの「山月記」のメッセージは:

語る人ではなく受け入れる人であれ!「語る人」は無意味に吠えるだけの「虎」になってしまうから。

だろうか。虎の鳴き声は我々人間にとっては何の意味もない。それどころか「怖い」とか「うるさい」といった害がある。「自虐話」も同じで、基本的には聞いていられるものではない。少なくとも目の前にいる人が自分にとって大切な人なら「自虐」などという下らないことはやめるべきである。

そしてこの文脈に置ける李徴が虎になった理由は、「彼が受け入れることのできない『吠える』人だったから」ということになるだろうか。あるいは、「吠える」李徴の姿は、まわりの人にとって「吠える虎」に見えていたという事かもしれない。

とんでも話:李徴はかつて虎だった

ここまではある程度真面目に考えてきたが、ここからは少しふざけようと思う。

李徴という人物は確かにどうしようもない人間である。自分ばかりなら良いものの、家族にまで苦しい生活を課しているようなダメなやつである。しかし、「どうしようもない息苦しさ」をこの世界に感じていた人でもある。

もちろんそれは彼の尊大な本質が原因なのだけれど、その本質は彼が勝ち取ったものではなく生まれ持ったものであった。

なぜ彼は自分を苦しめてしまうような本質を持って生まれてしまったのか?それを考えるために、本編で李徴がわずかに語った以下の文章を振り返ろう:

一体、獣でも人間でも、もとは何か他ほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?

つまり、李徴はかつて虎だったんだよ。そして彼はあるべき姿に戻ることができた。こんな息苦しい世界を捨てて。

それしか理由が説明できないじゃないか。この世界には幾多の人々がいて、李徴のように優秀な人間もいて、優秀な上に人当たりが良いやつもいて、この世界で生きていくのがうまいやつがいる。

でも李徴はそうではない。そんな不条理を説明するためには「オレはかつて虎だった。だから人間の世界で暮らすことが苦しかったのだ。」と考えるほかないじゃない?

昨今李徴のような「どうしようもない息苦しさ」を感じている人は多いだろう。それでもなお生きていかなくてはならないが、どうしようもなく苦しいときに、李徴のように虎になって叫んで見たところで、誰にも責められないだろう。

こういったものの考え方は人々を停滞させてしまうのだけれども、それでもなお「山月記」に秘められたほぼ唯一といっていい優しいメッセージとも言えるのではないだろうか。つまり、

悪いのは君じゃない。


以上が私が個人的に「山月記」について考えたことであるが、ここで少々原作者の中島敦に思いを馳せてみよう。

彼は教師をしながら懸命に執筆活動を続けたそうである。そして33歳という若さで喘息が原因でなくなっている。「山月記」という作品が我々を惹きつけるのは、この作品にそのような中島敦本人が乗っかっているからかもしれない。

この作品が教科書に延々と収録され続けているという事実に、彼は何を思うだろうか。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。