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「耳をすませば」にはなぜ電車が描かれ、エンドロールは人々の行き交うシーンなのか?【少女マンガと平成狸合戦ぽんぽこ】

これまで「『耳をすませば』における『杉村』」と「聖司と雫の約束の物語」について、書いてきた。今回は「耳をすませば」で執拗に描かれる「電車」とエンディングについて書こうと思う。なぜあの作品には電車が画かれ、エンディングで人々が行き交っていたのだろうか?

「耳をすませば」の全体的なあらすじはこちら

「少女マンガ」の「映画化」

悲劇の男杉村を追う」でも書いたのだが、「耳をすませば」における一つのテーマは「少女マンガ」の「映画化」であった。そしてそれを実現するために最も重要だったのは「主人公の極端な主観」である。つまり「主人公にとって大事なものはどこまでも美しく、それ以外には全く無頓着」という性質を映像化することが1つの目的であった。サードを守っているはずの杉村が右手にグラブをはめているのもそういった理由に基づくものだと思われる。

「少女マンガ」に限らず物語の渦中にある主人公たちは、自分たちの問題に魅入られて他のものが見えていない。それを見ている我々も、登場人物の持つ深刻さを自分の中に取り込んで、ある種の共感を覚えながら見ているので、その世界を成立させているはずの「その他の人」をないがしろにしてしまう。

事あるごとに電車が挿入されるのは、そういった主人公たちの主観から観客を一瞬引き戻して、物語に客観性をもたせる役割を担っているものと思われる。そしてそれは同時に「少女漫画がもっている極端な主観」を遠回しに茶化しているとも取れる。「少女マンガ」を「映画化」する上で、月島雫の物語としての「極端な主観」を実現しつつも、それを同時に批判してみせることによって「少女マンガって残酷なもんだよな~」というメッセージを載せたのではないだろうか。

エンドロールのアニメーションで、雫と聖司以外の物語にはまったく関係のない人々が同じような効果をもっているだろう。月島雫にとって自分の将来や聖司のことは極めて深刻な問題なのだが、その問題に向き合い何かをなすことができたのは、エンドロールで描かれた「関係のない人々」によってこの世界が安定的に形作られているからにほかならない。そういったメッセージも込められているのだろう。少々説教臭いけどね。

以上のことで一応「電車とエンドロールの謎」には答えられているのだが、もう少しだけ別の側面があると思われる。

「平成狸合戦ぽんぽこ」の続編としての「耳すま」

映画「耳をすませば」は、街の夜景の空からのショットから始まる。それは「平成狸合戦ぽんぽこ」のエンディングのショットにほかならない。「ぽんぽこ」ではカメラが引いて夜景になり、「耳すま」ではカメラがよって人々の生活シーンになる。こういう構造を見ると、どうしても「平成狸合戦ぽんぽこ」を意識せざるを得ない。

「平成狸合戦ぽんぽこ」は狸と人間の最終決戦を描いた物語であった。残念ながら狸たちの攻撃は、人間に気づかれることもなく敗北という形で終焉を迎えた。極めてコミカルに描かれてはいるけれど、本質的には相当しんどい物語である。

ただ、「ぽんぽこ」がどういう話だったかと言えば「狸可愛そう」とか「人間ってなんて酷いんだ!」ということでもない。最も重要なとは、狸たちが命をかけて取り戻そうとした土地にいるのは我々人間であるということである。そこにはかけがえのない人々の生活がある。

結局の所我々はまだ生存競争の真只中におり、「勝っているような状態」にいるに過ぎない。狸が可愛そうだからといってそこにある生活を壊すことはできない。しかし、我々はせめて自覚的であるべきで、自分たちの生活とそれ以外生活との間で揺れる動きながら生きていくしかないのである。

結構ヘビーな内容だが「平成狸合戦ぽんぽこ」は大体こんな話だったと思う。こんな「平成狸合戦ぽんぽこ」を受けて、宮崎駿が「狸たちから奪った土地での人々の生活」を描こうとしたのが「耳をすませば」だったのではないだろうか(「耳をすませば」の監督は近藤喜文であるが、脚本と絵コンテは宮崎駿が担当している)。

「耳をすませば」で描かれている電車は人々の生活の象徴となっている。私は地方出身なので、あまり自分の原風景や生活の中に電車が入り込むことがなかったが、東京育ちの人たちにとってはまさに原風景の一部であろう。そしてその風景の中には雫たち同様にかけがえのない日々や思い出が詰まっている。

「平成狸合戦ぽんぽこ」だけを見ていると、そういう大事な日々をも呪ってしまいそうになるのだが、「耳をすませば」を見ればやはりそんな日々を愛しても良いのだということが分かるだろう。それは別に月島雫や天沢聖司のようなドラマチックな日々ばかりではない。エンドロール描かれた「その他の人々」の日々だって慈しんで良いものである。

以上のように「耳をすませば」は「平成狸合戦ぽんぽこ」の続編として「それでもなお愛すべき人々の生活」を描いた作品だったとも私は思っている。やっぱりいい作品だよね。

この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。