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もののけ姫」のあらすじと考察ポイント【完全ネタバレ】

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「もののけ姫」は1997年に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品。キャッチコピーは「生きろ。」であった。スタジオジブリ作品としても宮崎作品としても、興行成績が100億を超えた最初の作品であり、最終的な193億にまでに上った(コロナ禍での再上映を含めると201億円)。

興行成績も素晴らしかったのだが、「確かに面白いのだけれど、一体何が面白かったのか分からない」という作品の特性も重要な特徴である。私自身「もののけ姫」を初めてみたときは小学生で、自分が何を見たのか、ラストをどう考えればよいのか、といった疑問を抱えながら劇場をでたことを覚えている。

今回はそんな「もののけ姫」のあらすじと見どころポイントをまとめようと思う。ちなみに、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください


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もののけ姫」のあらすじ(ネタバレあり)

簡単なポイントまとめ

「もののけ姫」のあらすじのポイントを短くまとめると以下のようになるだろう:

あらすじのポイント
  1. 物語の主人公は17歳の少年 アシタカヒコ。エミシの末裔である彼は東北の村で暮らしていた。
  2. アシタカは自らが暮らす集落を襲った「タタリ神」を退治することに成功するが、それと同時にタタリ神の「呪い」と、その証として右腕に赤黒いあざを受けてしまう。
  3. その「呪い」を理由に集落を追われたアシタカは、西に向けて宛のない旅に出る。
  4. 道中「シシ神」という超常の力を持つ存在を知ったアシタカは、「呪い」を解く一縷の望みをかけて「シシ神の森」へ向かう。「シシ神の森」は古い神が住む森である。
  5. 「シシ神の森」にたどり着いたアシタカは、傷ついた巨大な山犬「モロの君」とそれに寄り添う人間の少女 サンと出会うが、森を立ち去るよう告げられてしまう。サンはかつて親に捨てられ、モロの君に我が子として育てられた人物である。
  6. それでも諦めずに森を突き進んだアシタカは、「シシ神の森」の中にあるたたら製鉄の拠点「タタラバ」にたどり着く。そこはエボシ御前と呼ばれる女性が統べる集落であった。
  7. 大量の木を消費し、森を破壊するたたら製鉄を営む「タタラバ」は森の神々と対立しており、「モロの君」の傷は「タタラバ」の人々を襲撃した際についたものだった。
  8. 「タタラバ」にたどり着いたその夜、サンと山犬が「タタラバ」を襲撃。サンはエボシ御前との直接対決を実現するが、アシタカによって決着を阻止されてしまう。アシタカは「タタラバ」と山犬がともに暮らせる道を探っていた。
  9. エボシ御前とサンを一瞬のうちに気絶させたアシタカは、サンをつれて「タタラバ」を去った。
  10. サンのタタラバ襲撃時のアクシデントによって石火矢による深い傷を負ったアシタカを、サンは「シシ神」に託すことにする。
  11. 「シシ神」はアシタカの傷を癒やしたが、彼の呪いを解くことはしてくれなかった。
  12. そんな折、九州から海を超えて「乙事主(おっことぬし)」が率いるイノシシの一段が、人間との最終決戦をするために「シシ神の森」に到着する。「モロの君」はその戦いを止めようとするが、叶わなかった。
  13. 「乙事主」は人間との決戦に挑むが、火薬を含む様々な人間の作戦に敗走。「シシ神」に助けを求めるが、自らの死への恐れと人間への憎しみから「タタリ神」となってしまう。「シシ神」は「タタリ神」となってしまった「乙事主」の命を吸い取った。
  14. 一方、「天頂」と密約を交わし「シシ神の首」を狙って一連の状況を観察していたエボシ御前は、「シシ神」がそのあり方の一つ「デイダラボッチ」という巨人に変身しようとする一瞬のスキを突き、「シシ神の首」を手に入れる。
  15. 首を失った「シシ神」は周りにある全ての命を吸い取りながら首を求めて暴走するが、アシタカとサンは「シシ神」にその首を返すことによって状況を収束させる。
  16. 首を取り返したが、夜の存在としての「デイダラボッチ」となっている「シシ神」は朝日とともに倒れてしまう。
  17. 「シシ神」を失った後も人間への憎しみを忘れられないサンは森で生きることを決める。一方アシタカは「タタラバ」で生活しながら、サンに会いに行く約束を交わす。
  18. 「シシ神」を失った森は、僅かな復活を始めるのであった。

アシタカの物語としての「もののけ姫」の重要なキーワードは「不条理」となるだろう。

アシタカは村の将来の長であり、タタリ神から集落を救った英雄であるにもかかわらず故郷を追い出される羽目になっているのである。「タタリ神の襲撃」や「呪いを受けてしまったこと」になにか理由を求めてもどうしようもないことで「否応なしに発生してしまったこと」にすぎない。しかしその中で割りを食ったのはアシタカただ一人である。

「もののけ姫」における「タタリ神」はそういった「どうしようもない不条理」をもたらす「なにか」の象徴となっている。

我々が経験する「どうしようもない不条理」といえば、地震、台風といった自然災害も挙げられるだろう。こういったものの象徴として描かれてきたものに「ゴジラ」があると思う。

「ゴジラ」は何故かやってきて、世界を破壊しいつの間にか去っていく。その中でほとんどすべての人はじっと耐えてそれがいなくなるのをまつことしかできない。

このような「どうしようもない不条理」と、その象徴としての「禍々しいなにか」が描かれているという点で、「もののけ姫」は「宮崎版ゴジラ」と見ることもできるのではないだろうか。

物語のラストをどう考えるかは人それぞれだとは思うが、不条理な状況を乗り越えて「タタラバ」という新天地を発見することができたということを考えると、アシタカ物語としてはハッピーエンドだったのだと個人的には思っている

ここからはもう少し詳しく「もののけ姫」のあらすじを見ていこう。

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アシタカの追放と西への旅

時代は室町。歴史の闇に葬られた人々が、現在東北とよばれる地域にまだ隠れ住んでいた。かつてそこに住まう人々は蝦夷と呼ばれていた。主人公アシタカ彦は、そんな蝦夷の末裔である。

アシタカは自らの集落の長となるべき若者であった。その日もアシタカは変わらない日常を過ごしていた。しかしそこには「タタリ神」という忌むべき存在が忍び寄っていた。

そしてその驚異は突如アシタカの集落を襲撃する。アシタカはタタリ神を治めようとするが、タタリ神は止まらない。このままではアシタカの集落に直撃してしまう。

アシタカは犯してはならない罪とわかりつつも、集落を守るためにタタリ神に弓を引く。最初の一撃でタタリ神はひるんだが、その呪いがアシタカの右腕を襲う。それでもなおアシタカはタタリ神を止めるべく次の一矢をいる。

タタリ神はアシタカの2本の矢によって駆逐されたが、アシタカの右腕にはタタリ神の呪いが刻み込まれていた。

命をかけて集落を救ったアシタカだったが、その身に受けたタタリ神の呪いを理由に集落を追放されてしまう。非常な判断だが、アシタカはそれを受け入れた。アシタカは断髪し、故郷へ今生の別れを告げる。

次世代の指導者を失った集落の人々は、涙をもってアシタカを送り出す。呪われたアシタカはたった一人孤独に集落を後にすることを運命づけられていたが、アシタカの許嫁であったカヤは集落を後にするアシタカを見送ろうとする。そして、自分の分身として小刀をアシタカに託す。

「いつまでもあなたのことを思います」というカヤの言葉に、アシタカは美しい笑みで「私もカヤのこと思う」と返す。アシタカが残せるものは、カヤへの笑顔だけだったのである。

故郷を後にしたアシタカは、相棒の赤獅子ヤックルと共に、長い長い宛てのない旅を続けた。どれほどの時間が経っただろうか、アシタカはさる集落にたどり着く。その集落で米を手に入れようと、対価として砂金の大粒を渡そうとするが、店側としてはお足(銭)でなくてはならないという。少々困った状況になったところに、一人の怪しげな男が間に入る。

男はアシタカの手渡したものが砂金の大粒であり、非常に価値のあるものであることを告げその場を収めてくれた。何故そんなことをしてくれたかは分からなかったが、2人はアシタカの米で作った夕食を共にした。

アシタカはタタリ神の体内から発見された石火矢の弾丸について男に尋ねてみた。男はその弾丸に付いては知らなかったようだが、ここからさらに西に行った山奥の「シシ神の森」という場所を教えてくれた。人を寄せ付けないその森に住む生き物は、太古のままの巨大な姿をしており、そこに行けばなにか分かるかもしれないという。宛のない旅を続けていたアシタカがようやく手に入れた希望の光であった。

シシ神の森に向かう途中、川に人が流されていることに気がつく。深い傷もおっており、アシタカは手当をすることにした。その時、対岸に巨大な山犬が現れる。その山犬も傷を負っているようだったが、その傍らにはその傷の手当をする人間の姿があった。

その山犬はシシ神の森の住人だと考えたアシタカは、対岸から山犬達にそのことを尋ねるが「去れ!」と一蹴されてしまう。そんな時、比較的軽症だった男の叫び声が聞こえた。そこには森の精霊「こだま」がいた。

男はその姿に怯えていたが、アシタカはその存在が森か豊かである証拠であるといい、こだまの導きに従うことにした。こだまはアシタカたちを迷わせるかのように森の奥へ奥へと進んでいった。こだまを信じて突き進んだアシタカは静まり返った沼地にたどり着く。そこで水分補給をしようとしたアシタカは、目線の向こうに特別な存在を見出した。

次の瞬間、呪いを受けたアシタカの右腕が激しくうずく。アシタカの右腕のうずきは奇妙な存在が姿を消すと収まったが、あの存在とアシタカが受けた呪いとなにか関係があるのだろうか?

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タタラ場、エボシ御前、もののけ姫

不可思議な体験をしたアシタカだが、手負いの者たちを気遣いながら先を急ぐ。しばらく歩くとアシタカたちは傷ついた男たちの拠点「タタラ場」にたどり着く。そこはエボシ御前を筆頭に女達が牛耳るたたら製鉄を営む集落であった。集落の仲間を連れてきてくれたアシタカをタタラ場の人々は手厚くもてなした。

そこでアシタカはエボシ御前の英雄譚を知ることとなる。たたら製鉄は大量の木を消費しながら営まれるものであり、豊な森林はたたら氏たちにとっては宝の山であった。しかしタタラ場周辺の森は大きな猪たちが守っており、人々は手を出せずにいた。そんなところに現れたのがエボシ御前である。エボシ御前は大陸から持ち込んだ火器(石火矢)を駆使して山の獅子を追い払い、たたら製鉄の拠点タタラ場を築いたのである。エボシ御前のはなった石火矢で大怪我を追った森の主の猪は東へ敗走したのであった。

自らの故郷を襲い、右腕に呪いを残した大猪がエボシ御前によって森から排除された存在であったことをアシタカはようやく知ることとなったのである。

アシタカはその事実をエボシ御前に告げ詰め寄る。しかし「それでどうしたいのだ」と尋ねるエボシに対して、アシタカが言えたことは「曇りなき眼で見定める」ということだけであった。アシタカ自身にもまだ自分がどうしたいのか、どうするべきなのかが分からなかった。

そんな青臭くも清々しいアシタカを気に入ったエボシはアシタカを秘密の庭につれていく。その母屋には病で苦しみながらもせっせと石火矢開発をしている人々がいた。体が腐るその病に苦しむ人々は、それでもなお懸命に生きていた。そして何よりエボシを信頼し尊敬していた。アシタカは自らの運命を呪っていたが、懸命に生きる彼らの姿に自らの幼さを痛感したに違いない。彼はこの世界の広さを知ったのである。

その夜、タタラ場に事件発生する。アシタカが川辺で出会った山犬たちがタタラ場を襲撃したのだ。山犬とともに人の姿も遭った。彼女はどうやら「もののけ姫」と呼ばれているらしい。

タタラ場を襲撃する「もののけ姫」の殺意は深刻なものであった。「もののけ姫」はたちどころにエボシ御前の元にたどり着き、彼女を殺害しようとする。アシタカは「もののけ姫」とエボシの殺し合いをなんとか止めようとする。そんなアシタカの右腕はこれまでになく禍々しいものになっていた。

アシタカは右腕の呪いの力を使いエボシ御前と「もののけ姫」を同時に気絶させ状況を収束させる。しかし、「もののけ姫」をもかばってしまったアシタカにはもうタタラ場に居場所はない。アシタカは「もののけ姫」を抱えて、山犬達と共にタタラ場を後にする。タタラ場での状況を収束させる際に受けた深刻な傷によってアシタカは倒れてしまう。そんなアシタカに「もののけ姫」は困惑する。人間であるから殺すべきか、それとも救うべきか。「もののけ姫」が困惑しているその瞬間、アシタカは「生きろ、そなたは美しい」と伝える。

その言葉に困惑した「もののけ姫」は、アシタカの命運をシシ神の判断に任せることにした。シシ神が現れる沼地に「もののけ姫」はアシタカを寝かせ、その場を去った。

しばらくすると、静寂に包まれていた森がにわかに騒ぎ出す。森の精霊こだまたちが見つめる先には巨人「デーダラボッチ」がいた。その姿は夜の闇そのもののようだった。

巨大なデーダラボッチはアシタカの眠る沼地に近づくとその姿を変え、不可思議なシシの姿となっていった。それは森の神シシ神であった。

シシ神はアシタカに近づくと、超常の力を持って彼の傷を癒やした。

目を覚ますとアシタカは傷がいえているのに気がつく。しかし、右腕の呪いはさらに広がり、癒えることはなかった。シシ神という存在に一縷の望みをかけていたアシタカは、呪いに飲み込まれる日を待ちながら生きながられるという運命を受け入れざるを得なかった。

そんなとき、山犬と巨大な猪が現れる。森を侵略する人間たちとの最終決戦のために、猪たちはシシ神を頼って九州から海を渡ってやってきた。猪たちはそのシシ神の森に人間がいること、そしてシシ神が人間を救ったことに憤慨する。一族の長老乙事主(おっことぬし)だけは冷静に状況を見守っていたが、次に会うときは殺さねばならぬという言葉を残し、その場を去った。

まだ体の自由が効かないアシタカは、「もののけ姫」のすみかに移る。

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神殺しとアシタカの新天地

何日も寝込んだアシタカはあるよる目を覚まし、山犬のモロと対話する。

モロによると、サン(もののけ姫)はかつて人間が我が身の可愛さに投げ捨てた子供であった。自らの娘としてサンを育てたモロはその行く末を憂いていた。アシタカはともに生きる道があると主張するがモロに一蹴されてしまう。長い時間を生きるモロにとって、アシタカはまだまだ未熟であった。それでもなお、アシタカに僅かな望みも抱いていた。

翌朝目が覚めると、サンとモロの姿はすでになかった。アシタカは一匹だけ残っていた山犬に、カヤからもらった小刀を託し、サンに届けるように頼んだ。自らの命をつないでくれた小刀にサンの無事を託したアシタカは、タタラ場に向かった。

アシタカが戻ると、タタラ場は地元の侍たちと戦闘中であった。強固な砦と石火矢の攻撃によってなんとか持ちこたえていたが、守りの限界は近かった。そして何より、そこにはエボシも戦力になるはずの男たちもいなかった。

エボシ御前と男たちは「シシ神退治」に向かったことを聞かされたアシタカは、エボシにタタラ場の窮地を伝えるべく山に走る。そもそもエボシが連れてきた石火矢衆は「シシ神退治」のために与えられた戦力であった。エボシは自らの野望を叶えるためにそもそもの約束を果たしに行ったのだった。

エボシを探す道中、アシタカは猪たちの大量の死骸を目にする。「天頂様」から送り込まれたジコ坊をはじめとする戦力が、猪たちを爆弾の餌食にしていたのだった。そんな地獄絵図のなかに、タタラ場の男たちを見つけ、タタラ場のことを伝えるが、エボシはすでにその先に進んでいた。

猪たちの死骸の中に埋もれていた山犬の力を借りて、アシタカはなんとかエボシに辿り着く。エボシにタタラ場の窮状を伝えるが、エボシの反応は意外なものだった。タタラ場が襲われたときのために女達には武器を与えており、自分は戻るつもりがないという。

「シシ神退治」に対するエボシの強烈な執念を感じ取ったアシタカは、エボシを止めることを諦めシシ神のもとに向かったであろうサンの元に急ぐ。

シシ神の沼にたどり着くと、そこには傷つき倒れたモロがいたが、サンの姿は見えなかった。するとそこに、戦いで傷つきタタリ神となってしまった乙事主が現れる。サンはタタリ神と化した乙事主に飲み込まれていた。

アシタカは懸命にサンを救おうとするが、タタリ神と化した乙事主に振り払われてします。そんなアシタカの姿を見たモロはエボシを殺すためにとっておいた最後の力を振り絞り、サンを救出する。

騒然とする沼地に、シシ神が現れる。状況を見守っていたエボシ御前の石火矢の一撃がシシ神を直撃するが、シシ神は何事もなかったように歩みを進め、乙事主のもとへ向かう。シシ神は何事もなかったかのように、粛々と乙事主の命を吸い取った。

ありとあらゆる思惑がうごめく状況の中で、シシ神だけは超然としていた。シシ神は夜空を見上げ、巨人デーダラボッチへの変化を始める。

エボシはその時を見逃さなった。アシタカはエボシを制したが、エボシは決定的一撃をシシ神に放つ。その一撃によってとんだシシ神の首をジコ坊らが捕獲しその場から逃げ出す。彼らの目的は不老不死を与えるというシシ神の首を「天頂様」に届けることだった。

首を失ったシシ神は暴走し、すべての命を吸い取りながら自らの首を追った。

アシタカはシシ神の首を奪還すべく、サンと共にジコ坊を追う。人間がしでかしたことをせめて人間の手で治めたかった。

暴走したシシ神から必死に逃げるジコ坊であったが、その驚異はすぐそこまで迫っていた。結局逃げ切ることができなかったジコ坊は、アシタカとサンにシシ神の首を渡し2人に命運を託す。アシタカとサンは2人でシシ神の首を高く掲げ、その首をシシ神に返した。

デーダラボッチとしての力を取りもどしたシシ神だったが、夜の闇を駆逐する朝日にさらされる。人知を超えた存在であるデーダラボッチも、陽の光にさらされ、その巨体を横たえる。

暴走したシシ神によって命を吸われた森は、倒れたシシ神の力によって僅かな再生を果たす。そればかりか、エボシの秘密の庭にいた人々の病も癒えていた。

シシ神を失った森を前に、サンは焦燥感に駆られる。それでもなおアシタカは「シシ神は死なない、命そのものだから」という言葉を投げかける。その森がシシ神を失ったのかどうかは分からない。そんなこととは関係なく、アシタカもサンもエボシも、そしてタタラ場の人々も、混迷を極める世界のなかで生きていかなくてはならない。

サンは「アシタカのことは好きだが、人間を許すことはできない」と再び山に戻る道を選ぶ。アシタカは「ヤックルに乗って会いに行く」とサンに告げる。それはタタラ場の一員として生きるアシタカの宣言であり、森とタタラ場のバランスを保つ役割を負う覚悟の表明でもあった。

アシタカがようやく見つけた新天地は、傷ついたエボシのもとに復興をはじめていた。

タタラ場がさらされる運命は過酷なものかもしれない。それでもなおタタラ場に住まう人々は懸命に生き戦う。アシタカも共に戦うだろう。彼らの日々に幸多からんことを願うばかりである。


以上が個人的にまとめた「もののけ姫」のあらすじである。まとめるに際して「アシタカの主観」を大事にしたので、内容的には大分端折ったものになっているが、「もののけ姫」という物語の流れは分かるものと思う。

続いては「もののけ姫」の考察ポイントについて。

もののけ姫」の考察ポイント

カヤの小刀

「もののけ姫」を見たことのある人なら必ずツッコミを入れたシーンが、アシタカがカヤからもらった小刀をサンにあげちゃうシーンだろう。私も子供心に「アシタカ何故だ!」と思ったものだが、今見てみると少々心象は異なる。

そもそも子供の頃は、故郷を追われたアシタカの苦難というものが全く理解できなかった。そういうアシタカの苦難というものを前提にすると、アシタカの行動の意味合いは少々異なって見ると思われる。この辺のことは以下の記事にまとめたので、自分の意見と比べてみてほしい。

ただ、俺達が最初に感じた「アシタカ何故だ!」という感覚も大事にすべきだと思う。

神殺しの意味

「もののけ姫はどういう話だったか?」という質問に答えるならば、一つの解答は「神殺しの物語」ということになるだろう。確かにこれはその通りで、少なくとも後半戦の基本プロットは「神殺し」である。ただ、大事なことは「人が神を殺す」とはどういう意味を持っているのかということである。この「神殺し」については以下の記事に個人的に考えたことをまとめた。

少々面倒な問題なので意見は分かれるところだと思うが、大事なことは自分とは異なる意見を目にすることである。皆さんはどの様に考えただろうか?

真っ暗なエンドロール

「もののけ姫」を見る上で最後に注目すべき点はエンドロールである。「もののけ姫」のエンドロールは、真っ暗な背景にスタッフロールが流れる。米良美一の歌う主題歌があまりにも美しく、とてつもない説得力をもっているので、真っ暗で全く問題ない。しかしこれは宮崎作品としては極めて異例なことで、これまでの作品ではこんなことはなかった。何故「もののけ姫」のエンドロールは真っ暗なのだろうか?その理由については以下の記事にまとめている。

ただ、まとめていると言っても冗長な文章になっているので、中々核心が伝わらないかもしれない。それでも興味があったら一行くらい読んでくれたらありがたい。

まあ、エンドロールの背景を作っている暇がなかったというのが事の真相かもしれない。

エボシ御前の野望

「もののけ姫」という作品は多くの魅力的な登場人物に支えられている。しかしそのほとんどが、その背景が語られない。その際たる存在がエボシ御前かもしれない。作品を見ているとなんとなくエボシの目的は分かるような気もするのだが、明確に分かるようには描かれてはいない。

当初エボシは「良き支配者」として描かれている。そんなエボシを我々は瞬時に好きになってしまうのだが、「シシ神退治」に赴くエボシがタタラ場を救いに戻らなかったシーンで何かしらの違和感を覚えた人も多いだろう。私自身もそうだった。

あのシーンを単純に「エボシは本当は酷いやつだった」で片付けても良いのだが、それで終わっては面白くない。エボシ御前はなぜあの時タタラ場に戻らなかったのか?その理由を自分の言葉にしてみることも「もののけ姫」を楽しむ上で重要なことのように思われる。その辺のことは以下の記事にまとめた。

上の記事を読んでもあまり気づいてもらい得ないかもしれないが、エボシの夢と絶望を思うと涙が流れる。「もののけ姫」の真の主人公はエボシ御前だったのかもしれない。かもしれないだけだけど。

「もののけ姫」の主人公問題

不思議と十分な考察ようそのある問題として「もののけ姫」の主人公は誰か問題がある。

別に国語の授業ではないので、誰を主人公と思ってもいいし、普通の人が主人公と思う人と違う人をそうだと思うほうが独自性が会っていいのだが、私個人としては明確にアシタカであると思う。そのことに関しては以下の記事にまとめている:

皆さんは「もののけ姫」の主人公は誰だと思うだろうか?

タタリ神とは何だったのか?

「もののけ姫」を語る上で無視することのできない存在が「タタリ神」だろう。

「タタリ神」がどういう存在だったのかという問われればそれは「憎しみの象徴」ということができるだろう。

ただ、重要な問題はそのような「憎しみの象徴」がなぜ「もののけ姫」という物語に必要だったのかということだろう。その辺のことに関しては以下の記事にまとめている:

皆さんはなぜ「タタリ神」が「もののけ姫」という物語に必要だったと思うだろうか。

おまけ:腕が太いサン

これは別に「考察ポイント」というわけでもないのだが、まずは以下の画像を見てみよう:

これはジブリの公式がわざわざ出しいる画像である。元も注視すべきなのはサンの腕の太さだろう。

サンは森で暮らしているので、適切な腕力なしには生活できないし、自然に腕力が付くのである。

こういったところをきちんと描いているところが宮崎作品の素晴らしいところと言えるだろう。

ただ、「脇毛がない」という点に文句を言いたくなる人もいるかも知れないが、それは「リアリティー」とはまったく別の問題によって省略せざるを得なかったと思われる。

つまり、このシーンで脇毛を書いてしまったら、その他すべてのシーンで脇毛を書かなくてはならないのである。

そうなれば作画の労力は数倍、数十倍になってしまう。公開日に作品をあげることはできなくなるのである。

まあ、それ以外にも理由があるかもしれないけれど。

実際はどうなんだろうね。

ジブリ作品で一番好きなのは?
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シフルはどうなんだい?
「ジブリ作品」と聞かれたら「平成狸合戦ぽんぽこ」と答えることにしている。

この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。


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北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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