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【Vガンダム】ラストシーンでシャクティとカテジナの間で何が起こったのか?

「機動戦士Vガンダム」は1993年にテレビ朝日系列で放送された富野由悠季監督によるTVアニメシリーズである。

戦争ものということでしょうがないとはいえ、片っ端から人が死に続け、何やら鬱々とした気持ちで見続けることになる。ある意味で富の監督らしい作品と言えるのかもしれない。

そんな「Vガンダム」だが、やはり外せないのはラストシーンのシャクティとカテジナであろう:

大戦の終結後、シャクティとウッソは故郷のカサレリアに帰っていた。そこに視力を失ったカテジナがホバークラフトに乗って現れ、道を尋ねる。ただ1人カテジナに対応したシャクティは、ホバークラフトの地図情報を提供するだけで全くの他人のように振る舞った。その場を去ったカテジナの目から涙があふれるのだった。

子供心に何かが突き刺さったラストシーンだったが、あの瞬間2人の間には何が起こっていたのだろうか?

そもそも声を聞けばシャクティとわかりそうなものなのだが、気づいた素振りを見せなかったカテジナは記憶を失っていたのだろうか?

今回はこの辺のことを考えて行こうと思う。あのラストシーンを理解するために重要なのは、やはり主人公のウッソである。

ラストまでの道のり-シャクティとカテジナの戦い-

ウッソを止めたいシャクティ

物語の序盤から、シャクティのウッソに対する態度は極めて一貫したものだった。つまり「戦いに行ってほしくない」ということである。そして、ウッソを戦争に駆り立てるカテジナに対する敵意である。

もちろんウッソがカテジナに執着するのはカテジナのせいではなくウッソの問題である。それでもなおウッソを戦争に連れて行ってしまうカテジナに、序盤から不満を抱いていた。

この辺のことは複雑怪奇に表現されているが、例えば14話。

この話以前に、カテジナはすでにクロノクルと行動を共にしていた。カテジナはウッソに「スパイのために敵に近づく」ということをメモとして残していたが、この14話までシャクティによって隠されていた。隠していた理由は色々あったと思われるが、決め手は「ウッソ君のようにチャレンジしてみます」といういかにもウッソが喜びそうな文言だろう。

しかしあまりにもカテジナに執着するウッソを見た、シャクティはやむなくそのメモを見せてしまう。もちろん「スパイをしているのだから安心して良い」という思い出見せたのだろうが、結果は逆効果であった。その直後空港でカテジナを発見したウッソは、結局宇宙に上がることを決断してしまう。

ウッソはシャクティも一緒に宇宙に上がろうと提案するが、シャクティはその提案を拒絶する。しかし、シャクティは「あのレールのだき私の行くところだもの」と自らの意思でリーンホースに侵入し宇宙に上がる

この一見矛盾した行動はどういうことか?

最初のウッソの申し出に乗ってしまうと、結局「カテジナを追うウッソについていく」という形になり、プライドが許さないだろう。しかし、ウッソを追っていきたい気持ちはあるし「母探しの旅」にもなる。したがって「ウッソについていく」のではなく「自分の問題意識で宇宙に行く」という構造がどうしても必要だったのではないだろうか。

今回は14話だけを取り上げたが、その前にも後にも極めて微妙な表現が連続している。

何れにせよ、シャクティにとってカテジナは「ウッソを連れて行く悪しき存在」となっている。恨むならウッソだろうと思わなくもないが、まあ男も女もこんなものかもしれない。

子供を守ろうとするカテジナの悲しみ

このようにシャクティにとってカテジナは完全に「敵」になっているわけだが、実際カテジナはそんなに悪い人なのだろうかというと全然そんなことはない。

確かにウッソはカテジナを守ろうとするあまり戦争にハマっていくが、カテジナは最初から一貫して子供を戦争から遠ざけようと頑張っている。まったくもって立派じゃないか。

そんなカテジナに我々がイラつく理由は唯一つ。主人公が少年だからに過ぎない。

カテジナの子供を守ろうとする姿は、主人公ウッソ・エヴィンの英雄譚の成立を阻害するものにほかならない。そんなくだらない理由で我々はカテジナに苛ついているわけである。

もちろん最後は狂ってしまうが、それは彼女のせいというよりは戦争のせいである。彼女は子供を戦争から守ろうとしたし、「男が作った狂った世界」と戦おうとしていた。しかし1人の力では状況は変えられなかったのである。そんな彼女の戦いにそろそろ思いを馳せてもいいだろう。

そんな立派なカテジナだが、ウッソの自分に対する憧れの思いを十分に理解しているし、それ故に彼がから回っていることも重々承知している。そして最後に狂ってしまったカテジナは、徹底的にそういったウッソの思いを利用しようとしている訳である。

そして臨界点を超えたカテジナは視力を失ってしまう。彼女の戦いはあの瞬間に終わったのだ。

シャクティとカテジナの最終決戦

以上のことを前提に、もう一度ラストを考えよう。

まず、カテジナはラストの段階で記憶を失っているのか問題があるが、それは否定すべきだろう。彼女は視力を失ったが記憶は失っていない。その上である目的のためにあの場所に来たのである。

その目的とはもちろんウッソである。

ザンスカール帝国という自分の居場所を失い、視力まで失ったカテジナは、その後の人生を思い「ウッソなら自分を受け入れてくれるだろう」と思ったに違いない。

確かにラストシーンでウッソがカテジナに気がついていたら、平気な顔をして「カテジナさ~ん!生きてたんですね!」と彼女を受け入れたことだろう。そういう意味でカテジナの打算は完璧だったと思われる。

しかし最悪なことにそこにいたのはシャクティである。

シャクティは一瞬で感じ取ったことだろう、カテジナはウッソに会いに来た、あるいはウッソを利用しに来たのだと。

何も気づいていないような素振りはいよいよシャクティを苛立たせたに違いない。

たった一言「ごめんねシャクティ」と言ってくれればシャクティの対応も変わったかもしれないが、そもそもカテジナはシャクティに悪いことをした記憶などない。ウッソが勝手にから回っていただけなのだから。

だが、しれっと何食わぬ顔でやってきたカテジナに、シャクティは最後通告をする。「二度と私達に近づくな」と。

最初に聞こえた声がシャクティだった時点でカテジナも作戦が失敗したことを悟ったに違いない。彼女はシャクティからの最後通告を素直に受け入れたのである。

これがあのラストシーンの真実だと思われるが、やはり我々はカテジナの涙にもう少しだけ思いを馳せるべきだろう。

彼女の「戦い」はそもそも間違っていないのである。自分たちではない「誰か」が始めた戦争への憎しみであるし、そんな状況から子どもたちを守ろうとする戦いだったし、そしてその世界を作った「男」という存在への反旗だった。

でも彼女は孤独に生きることを運命づけられてしまった。どうだろう、自分だって涙を流してしまうのではないだろうか?「間違ったことなどしてはいないのに」と。

しかもカテジナの命運は「ウッソに惚れられた」という彼女のせいでもなんでもないもので決まったのである。

子供の頃はカテジナに苛つきながら見ていたので、どちらかというとシャクティに肩入れしながらラストを受け入れたような気がする。「カテジナ何泣いてんだよ」くらいのことは思ったかもしれない。

でも今では思うのです。シャクティにカテジナを受け入れてほしかったと。

皆さんはどうだろうか。

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