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「DUNE/デューン 砂の惑星 Part 1」を見てきた感想

「DUNE/デューン 砂の惑星 Part 1」はドゥニ・ヴィルヌーヴが監督によるSF映画である。原作はフランク・ハーバートによるSF小説「デューン砂の惑星」。SF界隈では知らない人がいないような作品で、多くの作品に影響を与えたものだが、恥ずかしながら私は原作を読んだことがなかった。

結構前から映像化の話がちらほら出ていたので、公開されたら見に行こうと決めていたのだが、日本公開から1ヶ月ほっぽってようやく見に行った。

今回はそんな「DUNE」の感想を書こうと思う。これは2部作の1作目なので、見終わったあとの爽快感は期待しなかったのだが、思いの外面白かった。まずは序盤のあらすじを振り返ろう。

「DUNE/デューン 砂の惑星 Part 1」序盤のあらすじ

物語の舞台は「皇帝」の支配下にある惑星アラキス、またの名をデューン。その惑星はメランジ(スパイス)と呼ばれる希少物質の供給源であった。スパイスは、ドラッグのような幻覚作用を持つとともに、星間航行に欠かせないものでもあった。

当初皇帝から惑星の当地を任されたのはハルコネン男爵だった。彼ら一頭は惑星を強力に支配しスパイスの利権で大きな利益を得ていたが、ある時その統治権がハルコネン男爵からアトレイデス公爵に移されることが決定される。表面上ハルコネンらは、一方的に利権を奪われる形となったがそれは皇帝の策略でもあった。

アトレイデス公爵は、息子のポール、側室のジェシカを連れてアラキスに降り立つ。

アトレイデス公爵は、今回の一件が「ハルコネン」と「アトレイデス」という二大勢力の対立を煽り、双方の力を削ぐための皇帝の策略であることに気がついていた。そこで彼はアラキスの砂の民「フレメン」との盟約を結ぶ計画を立てる。優秀な部下であるダンカンの働きでアトレイデス公爵はフレメンとの盟約を結ぶことに成功するが、すでにハルコネン男爵と皇帝の親衛隊の魔の手が惑星アラキスに忍び寄っていた・・・。


以上が大体のあらすじだが、物語の主人公はアトレイデス公爵ではなく息子のポールである。

彼は母であるジェシカから「Voice(”声”)」と呼ばれる特殊能力の訓練を受けているのだが、この能力はジェシカが所属する秘密結社ベネ・ゲゼリットのメンバーが操る能力のようである(「Voice」はその名の通りことばで相手を操る能力)。

ベネ・ゲゼリットは皇帝に非情に親しい存在でありながら、どうやらその転覆を数千年に渡って画策している。ポールはベネ・ゲゼリットの数千年の夢の結晶であり「選ばれしもの」である。彼はそんな運命とも戦うことになる。

映画の感想

なんかめっちゃ怖い皇帝

「DUNE/デューン 砂の惑星 Part 1」の本編ではまだ登場しなかったが、どうやらあの宇宙は「皇帝」なる存在によって支配されている。

宇宙規模の皇帝なのでその権力は我々の想像を絶するものになるのだが、今回は本編に一瞬たりとも登場しない。そしてそれ故にめっちゃ怖い。

Par1で皇帝がしたことはハルコネンをけしかけてアトレイデス公爵家を滅ぼすというなんともせこいことではあったけれども、あの世界で1つの公爵家がなくなるということは惑星レベルの支配構造が変わるということなので、やはり相当にでかいことが起こっていることになる。

でも皇帝は登場しない。

そして登場しないゆえにものすごく怖い。皇帝に近しい存在としてベネ・ゲゼリットという組織の人々が登場するが、そいつらが何やら怪しい雰囲気をまとっていることも皇帝に対する「怖い」印象を植え付けている。

Part2では登場してくれるとは思うのだが、どんなフォルムで登場するだろうか?怖いもの見たさの期待が膨らむ。

想像を絶するサンドワーム

さて、砂漠といえばサンドワームだが、この作品にも砂漠の驚異として巨大なサンドワームが登場する(この手の怪物の元ネタはモンゴリアン・デス・ワームというUMAだそうな)。

そしてこれがめちゃくちゃでかい。

「でかいサンドワーム」というものを想像してほしいのだが、おそらくその10倍以上でかい。

私の記憶によるとなんとその全長は400メートルにも及ぶ。

本編でもきちんと登場するのだが、その絶望的なデカさは圧巻である。「でかさ」が与える恐怖というものは単純だが本質的で、逃れることができない。あいつの存在だけでアラキスという惑星が人類にとって過酷な環境であることがわかる。あんな星住みたくねえよ。

「違和感」のない映像

この映画最大の特徴と言えるのが「違和感」のない映像ということになるような気がする。

SF作品ということもあり、実際には存在しない様々な要素を描かなくてはならない。広大な砂漠や巨大な建築物、そして兵士の鎧。

SF映画を見るときには概ねある種の「違和感」を覚えながら、それをないことにして頑張って見るのが常だと思うのだが、この作品ではそういう違和感が相当に少ない。

なんか「そんなもん」という感じですっと心に入ってくるようなデザインや見せ方になっている。

制作陣は相当に苦労と工夫を重ねたことだろう。「映像作品」としての「DUNE Part2」に期待が膨らむような出来だった。

かっこいいオーニソプター

「DUNE」といえば忘れちゃいけないのが「オーニソプター」、つまり羽ばたき飛行機である。これがヘリや戦闘機の代わりのように登場するのだが、これがなかなかかっこいい。

ただ、CGの妙技で違和感なく描かれているが、実写の質感で見るとオーニソプターの困難がなんとなく実感として感じられる。つまり、金属製の思い本体を浮遊させるようなチカラを羽ばたきで実現しようとすると翼の関節部分の負荷がとんでもないことになるし、適切な浮力を得るほどの羽ばたき回数を実現することは不可能だろうということが否応なしに伝わってくる。

「オーニソプター」というと我々が思い出すのが「天空の城ラピュタ」の「フラップター」だろう。このフラップターに関しては「「もう一つのバルス」」という制作ドキュメンタリーに面白い記述がある。当時制作担当だった木原さんが宮崎監督から「DUNE」の話を振られ「オーニソプター」のことだと瞬時に気がついた木原さんが「性能の話ですか?乗り心地ですか?」と尋ねると、それに対して宮崎監督が

「そう!乗り心地です!オーニソプターのような鳥型の羽ばたき式って、小説家だから書けたんですよ。あんな物に乗ったら翼がクランクで上下するたびに、乗ってる人間も上下して天井と床にぶつかりまくりでとても乗れたもんじゃない。どうしても羽ばたき式をやるなら、 技術的に不可能でも昆虫型が良いんですよ」

実際「天空の城ラピュタ」では見事な形でオーニソプターが実現されたわけだが、うまいこと飛んでるように見せるためには多くの苦労があったことだろう。

今回の「DUNE」は「実写」ではあるけれどもオーニソプターはCGである。CG技術の進歩によってようやくそれっぽいものを映画の中に登場させることができたということなのだろう。これまでの映像作品ではどうしていたのだろうか?

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