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もののけ姫」でアシタカは何故カヤの小刀をサンに渡してしまったのか?

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「もののけ姫」を見た当時は小学6年生だったが、アシタカがカヤからもらった小刀を山犬に託すシーンをみて、「えっ、それ渡しちゃうの」と子供心に思った。初見の初見でだ。

ただ、時間が立つと色々考えがめぐるもので、あのシーンをなんとかいいシーンとして見ることもできるのではないかと考えるようにもなった。今回は「カヤの小刀をサンにあげちゃう問題」をなんとか合理化して「いいシーン」ということにしてしまおうと思う。

ただその前に、苦難の中にあるアシタカのちょっとおもしろい内面を掘り下げて、カヤの小刀をサンに渡してしまうシーンを「通常通り」に振り返ろう。


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アシタカの人間性とカヤの小刀を渡すシーン

人の仕事場に上がり込むアシタカ

アシタカってどんなやつなのかというと、基本的には「勇猛果敢で人にやさしく、自分の苦しみを人に見せつけるようなことをしない男」ということでよいと思われる。

しかもアシタカは「不条理な呪い」をかけられた苦難の中にある主人公である。「こんなしんどい状況でよく頑張ってるな~」とは思うのだが、アシタカはこと女性の事に関することになると、意外な本性を表す。それを表す端的な事柄が、アシタカが初めてタタラ場を訪れた際に発生している。

アシタカが男たちと食事をとっている時に、興味本位でフイゴを踏む女達がアシタカを見に来る。女達はアシタカに「あたいたちのところへきなよ」と面白半分につげるが、それに対してアシタカは仕事場を見たいと答える。それに対して女達は化粧をしておかなければいないと返し、仕事場に戻る。エボシの秘密の部屋から帰ってきたアシタカは、女達の中に入り、フイゴを踏む。

一見普通の流れにも見えるのだが、あえて悪い言い方をすると、アシタカは「あたいたちのところへきなよ」という言葉をものの見事に真に受けて、しかもズケズケと女達の仕事場に上がり込み、頼んでもいないのにフイゴを踏むのである。

私ならちょっと挨拶くらいをするぐらいで終わりにして、少なくとも仕事場に上がりこんだりはしないし、「あたいたちのところへきなよ」と言われたって本当に来いと言っているとは思わないだろう。

『もののけ姫』はこうして生まれた。(PR)」に甲六の妻トキがフイゴを踏む女に「せっかくだから変わってもらいな!」というシーンのアフレコの様子が収録されている。

声優はナウシカやクラリスを演じた島本須美さんなのだが、このアフレコに結構手こずっている。どうやら宮崎監督としては、トキのアシタカへの印象が肯定的になってしまっていることが不満だったようだ。

おそらくは「こいつマジで来やがったよ、踏ませないと帰らないからとっとと踏めせちゃいな」というアシタカをぞんざいに扱うニュアンスが必要だったと思われるのだが、どうしてもそのニュアンが出ず何度もリテイクを重ねている。

このドキュメンタリーに収められているアフレコシーンはどれも見応えがあり、一見の価値があると思う。アフレコって大変なんだな~。

さて、アシタカはなんであんな真似が出来たのだろうか。

本当は王様になるはずだったアシタカ

アシタカを理解する上で我々が忘れてはなたないのは、アシタカは本来ふるさとの長(王様)になるはずだったのだ。タタリ神アタックがなかったとして、順調に村長になった時に、妻がカヤだけとはそもそも限らないのである。

この辺のことに関して「続・風の帰る場所―映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか(PR)」の中で宮崎監督が以下のように語っている(アシタカは故郷に帰らないのかという人がいたという話の後):

「意味ないですよね。でも、サンを乗っけて故郷に帰ったらカヤがいるんだぞって言ったら、ああそうですかって言ったやつがいたけど、そのくらいのレベルにするとものすごく分かるんです(笑)。いや二人とも女房にしてもいいんだ、って追い打ちかけて言いましたけどね(笑い)」

ここで重要なのは「二人とも女房にしたっていいんだ」という言葉である。やっぱり王様なんだからそんなものなのである。で、何が言いたいのかと言うと、アシタカは女好き!とかいうことではなくて、アシタカには女性に対して鬱屈した部分が全くないのである。というよりもあろうはずがないのである。

したがって、女達が自分を受け入れないという発想はアシタカの中に生まれないし「あたいたちのところへきなよ」と言われれば「うん!行く行く!」となる。サンに対して「そなたは美しい」なんて言ってのけるのも、自分が女性に向けてかけた言葉が受け入れられないなんてことをアシタカはこれっぽっちも考えないからである。

カヤの小刀を渡すシーン

ここまでの文脈で考えると、「カヤの小刀をサンに渡すシーン」はいよいよひどいというか、ともすれば笑えるシーンになる。やっぱりアシタカは「なんかキラキラしているし、これあげればサン喜ぶんじゃないかな~」と思っているのである。

なんともムカつくやつだ。そしてさらに我々を苛つかせるのは、小刀をもらったサンが「きれい」なんて言いながら大喜びで首に掛けているという事実である。

見事に落とされてんじゃねえよサン!その小刀は親の形見とかじゃねえぞ!元カノからのプレゼントだぞ!サンから「この小刀はなんなの?」なんて聞かれたアシタカは一体どんな嘘をついただろうか?いや、アシタカは王様らしく「女からもらった」と平然と答えたに違いない

アシタカは「不条理な呪い」をかけられた苦難の主人公である。その事実に対しては同情を禁じえない。それどころか、不条理と闘い懸命に生きたアシタカには敬意を表する。我々はアシタカのように懸命に生きなくてはならないのだ。しかし、こと女性のこととなると、アシタカの王様っぷりはなんとも腹立たしい。

さて、以上のことは「えっ、渡しちゃうの」と思った小学校6年生だった私の思いを、おっさんになってから考え直したものである。ここで終わっては面白くないので、なんとかあのシーンを「ムカつくシーン」ではなく、「いいシーン」にすることを試みようと思う。

カヤの小刀を渡すシーンの考え直し

苦難の男アシタカの流した涙

ここまでは、アシタカの内面をちょっと茶化しながら述べてきたけれども、やはり忘れてはならないのは、アシタカは「苦難の男」であるという事実である。

故郷を守り、女を守ったアシタカは、タタリ神から呪いを食らったばかりではなく「ここから出ていけ」と故郷を追われる。そんなアシタカの内面はドロドロに決まっている。自分を見送ってくれたカヤに苦しみを吐露して慰めてもらうのではなく、満面の笑顔を送ったアシタカはやはり「いい男」でもある。そんなアシタカが作品中一度だけ涙を流した。

タタラ場をサンが強襲し、エボシ御前との対決をした後、サンと共にアシタカはタタラ場を去ろうとする。その際に、誤って放たれた石火矢でアシタカは撃ち抜かれる。タタリ神の呪いの力をもっているアシタカは、その一撃を受けた後も歩みを止めず、タタラ場を去る。

しかし、石火矢のよって受けた傷による出血によってアシタカは意識を失う。サンはアシタカの命運をシシ神にたくす。シシ神はアシタカの傷を癒やしてはくれたが、呪いをといてはくれなかった。自らの腕の痣が消えていないという事実を認識したアシタカは、一筋の涙を流す。

「もののけ姫」の中で印象的なシーンの1つである。あの涙のシーンは「もののけ姫」という作品において間違いなく大きな段落になっており、あの前と後ではアシタカの生きる意味が変わっている。涙の前では自らの呪いを解くために懸命に生き、涙のあとではサンのために生きるのである。

ここで私が問題にしたいのは、故郷を去ってから、このシーンの涙を流すまでに、アシタカは何回泣いただろうかということである。もちろん作品中に描かれていないので想像するしかないのだが、この辺をどう考えるかで、それぞれの人の中の「アシタカ像」が決まってくるものと思われる。ここでは私の考えを述べることになるのだが、アシタカは一体何回泣いたのだろうか?

アシタカは何回泣いたのか?

アシタカが何回泣いたのかという問に対する解答は2つしかいない。「あのシーンが最初の涙」か「その前に何度も泣いている」である。

私は「何度も泣いている」という立場をとる。これについては特に根拠はないのだけれど、どうしてもそう思えてしまう。「良いこと」をしたのに故郷を追われたアシタカの旅はどれほどのものだっただろうか。食料の調達も大変だったに違いない。しかも「目的地のない旅」である。どこか明確な目的地があれば頑張れるかもしれないが、そもそも呪いが解けるかどうかすら分からないアシタカにとって「ただ西に向かうしかない旅」は地獄のようなものであっただろう。

そんな過酷な旅の中で、カヤからもらった小刀を抱きしめながら「カヤ~」と涙を流した夜がなかったとはどうしても思えない

このように考えると、ジゴ坊に出会って「シシ神」というキーワードをもらったという事実は、アシタカにとってまさに福音であっただろうということが分かる。

ジゴ坊とアシタカが食事をともにするシーンで、ジゴ坊が言っていることがアシタカにどう聞こえているかというと「もう少し西に行くと『シシ神医院』といういい病院がある。そこの『シシ神先生』に話せば君の病気もなんとかなるかもよ」である。目的地のない旅を続けていたアシタカは、ようやく希望の目的地を得たことになる。

しかし結果は上述の通り悲しいものであった。痣が残ったということはどういうことかと言うと、せっかくシシ神先生に会えたのに「まあ、病気が治るとかそういう話ではなくてね、これからの事を考えませんか?」と言われたということである。つまり「病は癒えない」のである。「苦難」の中にあったアシタカは本当に「絶望」したに違いないのだ。

アシタカは「もう大丈夫」

このように、アシタカの物語は「苦難」から始まり「絶望」によって終わりかけていた。ところがアシタカにはもう1つの福音があった。それは「サンの存在」である。先程述べたように、アシタカが涙を流したシーンの前後でアシタカの生きる目的が変わっている。というよりも「変えることができた」と考えるべきであろう。

つまり、アシタカはサンに出会うことによって「自分の苦しみと戦う道」ではなく「サンを救い、ともに生きる」という別の道が見えたのである。もちろん「救う」などという上から目線の考えは、モロによって一笑された(やはりこの辺にもアシタカの王様感がでている)。でもやはり生きる目的を得たのである。

夜な夜なアシタカが抱きしめながら「カヤ~」と涙を流した小刀をサンにわたすということは、「自分の苦難を支えてくれた大事な小刀を渡す」ということであり「君に幸あれ」ということである。何よりも「アシタカにはもう、自分を支えてくれた小刀はいらない」ということでもある。

このように考えた上で、あのシーンを見た我々が考えるべきことは「アシタカ、お前はもう大丈夫なんだな。呪いを払うことは出来なかったけど、お前は生きていけるんだな。よく頑張ったな。そして、サンにあえて良かったな」である。

アシタカがカヤの小刀をあげちゃう問題」のまとめ

以上の事をまとめると

まとめ

もともと王様になるはずだったアシタカは、女性に対して鬱屈した思いがまったくない。そのため、女達の言葉を真に受けて、頼まれてもいない「フイゴ踏みの手伝い」をする。そんなアシタカが、カヤからもらった小刀をサンに渡すシーンは「これでも送っておけばサンも喜ぶだろう」というなんとも浅はかな思いに基づくもとの思うことができるし、概ねそれであっている

しかし、アシタカが「苦難の旅」を続けていたという前提に立つならば、あのシーンは「自分の苦難を乗り越えることが出来たアシタカ」を表すものであり、我々はむしろ「良かったな!」とアシタカの未来にエールを送るべきではなだろうか。

ということになると思う。もちろんこのように考えても「いけ好かない」という思いはなくならないかもしれないが、何も考えないよりは僅かに良いのではないだろうか。

カヤの小刀をサンに上げちゃうことについて
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シフルは「それで良い」と思っているわけだよね?
今となってはそうだが、所見の衝撃は忘れられないな。当時は小学生だったが、カヤからもらったものであることは覚えていたし、「え、あげちゃうの?」と素直に感じていた。

おまけ:アシタカとエボシ御前

この記事の本編では「女性に対して鬱屈したものがない」というアシタカの内面を中心にしたが、アシタカが持っているもう1つの側面は「若さ」ないしは「青さ」である。そして、その「青さ」を突き刺すようなセリフをエボシ御前は吐いている。

つまり「賢しらに僅かな不運を見せびらかすな」である。

不条理な呪い」、「故郷の喪失」、「無限地獄のような旅」を経験したアシタカの不運を「僅か」と癒えるくらいに、エボシは苛烈な人生を歩んでいるという設定がきちんと存在している。まあ、たしかにエボシにとってはアシタカの不運なんて「僅か」なのは分かるのだが、少々言い過ぎのような気もする。

しかし、エボシ御前があのような厳しい一言を言ってくれたおかげで、「もののけ姫」という作品の根幹が支えられているようにも思われる。

つまり、エボシ御前のおかげで我々は、アシタカをずっと主人公として肯定的に見ていられるようになったような気がするのである。アシタカの「若さ」とか「青さ」というのは、なんやかんやいって「自分がこの世界で一番不幸」と思っていることだと思う。もちろんそれであっているんですよ。「不条理な呪い」、「故郷の喪失」、「無限地獄のような旅」を食らっているのですから。

しかし、もしもエボシがあのセリフを吐いてくれなかったら、アシタカの有り様がちょっと鼻についたかもしれない。アシタカと同じくらい、あるいはそれ以上の苦難の人生を歩んでいるエボシの存在は、まだ若く青いアシタカをたしなめ、作品にバランスを与えてくれていたということができるのではないだろうか。

この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。


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北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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