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【初代ゴジラ】芹沢博士の恋とゴジラとの心中。

映画「ゴジラ」は1954年に公開された本多猪四郎監督作品である。現在に至るゴジラシリーズの元祖であり、個人的な感想としては「とにかく怖い」ことが重要な魅力であろうと思う。それは「ゴジラが怖い」というだけでなく、作品全体が「こわい」のである。特に母を亡くした女の子の鳴き声は聞いていられないくらいの悲壮感がある。

今回は、この作品における重要人物である芹沢博士について考えていきたい。俺たちは何故芹沢博士を忘れられないのか。そして、彼は何故ゴジラと共に死んだのか。

初代ゴジラの芹沢博士

芹沢博士は「ゴジラ」に登場する科学者である。彼は戦争中に右目に傷を負い、眼帯をして生活をしている。彼は自分の研究を秘匿しているのだが、何故か山根恵美子にその研究内容を教えてしまう。

もちろん芹沢と内容を秘匿する約束をしていたのだが、ゴジラ上陸後の凄惨な状況を前に、恵美子は交際相手である尾形に芹沢の研究を明かしてしまう。結局芹沢は、彼の研究から生まれた酸素破壊兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を用いてゴジラを殲滅することを了承するが、彼は作戦実行時、自らゴジラと共に消えゆく決断をする。

芹沢博士の眼帯

芹沢博士の死の真相を暴く上で重要な要素がやはり「眼帯」だと思う。 作品中、尾形が次のように語っている:

「誰にも遠慮することはないと思いながら、芹沢さんのことを考えると、どうも弱気になる。戦争さえなかったら、あんなひどい傷を受けずに済んだはずなんだ。」

ここだけ抜き出すと少々意味がわからないので解説すると、尾形の交代相手である恵美子は芹沢の昔からの知人であり、対外的には「結婚する相手」と考えられているような関係にある。

しかし尾形は恵美子と交際しており、芹沢のことを考えると「弱気になる」わけである。しかも芹沢は戦時中に大怪我を負っている。恵美子本人は芹沢を「兄のような人」と呼び尾形を元気づけるのだが、「芹沢の心中たるや如何に」である。

尾形の証言を聞くと、芹沢は中々ひどい怪我を負ったと思われるのだが、実際の芹沢は眼帯をしている「だけ」であり、中々「いい男」でもある(白黒でわかりにくいが、眼帯の下にケロイドを確認することもできる)。

だが現実問題としては失明していることは確実で、間違いなく大怪我ではある。しかし、映像的な印象は尾形の証言とは若干の乖離があり、そこまで悲惨には見えない。あとは、尾形の証言と我々が見た映像の「どちらを取るか」という問題である。

私は尾形の証言を取ることにする。つまり「芹沢が顔に負った傷は、実際は映像で見るものより遥かには悲惨なものであり、眼帯はその象徴として描かれているに過ぎない」という立場を取ることにする。理由は1つ「そのほうが整合性がとれる」からである。

芹沢の絶望と自己顕示欲、そして恋。

尾形は本来芹沢と結婚するはずだった恵美子を「かっさらってしまった」というある種の罪悪感に苦しんでいるのだが、その罪悪感の根源には芹沢の「眼帯」がある。

つまり「芹沢があんな傷を負っていなかったらどうだったのだろう?」という考えなくても良いことを考えているわけである。別に恵美子がどうとかそういうことではなく、そんなふうに考えてしまう男のくだらなさが彼に良心の呵責を生み出している。

別の言い方をすると、自分は真っ向勝負していないのではないかと感じているということになる。

一方芹沢も、尾形の苦しみなんか霞んでしまうような苦難の中にあった。つまり、彼は自分の姿に深刻なコンプレックスを抱いてしまっていた。

もちろんステレオタイプな「天才科学者」なら「研究の事以外頭になく、高々顔に負った傷なんかどうでもよい」ということになるのだが、芹沢博士は天才ではあったがステレオタイプにはまるようなわかりやすい人物ではない。

ではそのコンプレックスの根源はなにか?もちろん、山根恵美子である。彼はとうの昔に恵美子に惚れていたのである。そんなことを気にせず「芹沢大助」として胸を張って生きていれば、世界はほんの少しだけ望む方向に変わったかもしれない。しかし彼の苦痛や苦悩を否定することなんて誰にもできないだろう。

結局芹沢が研究倫理上秘匿すべき研究成果を恵美子にバラしてし待った理由は「惚れていたから」ということになるのだけれども、もう少しだけ複雑な思いが渦巻いていたように思われる。この複雑な心情を文章にする力は私にはないのだが、概ね3つの心情が折り重なっていたことと思う。

1つは、どれほど呪われた研究であろうとも、それを公表したいという科学者としての心情。2つ目は、惚れた女に「自分はすごいのだ」ということを伝えたい思い。そして3つ目は、どうせ自分を見捨てるであろう目の前の女に、この世界の醜さを見せつけてやろうという攻撃性。

もちろん3つ目は完全に「妄想」だけれども、これがなかったとは思えない。「美しい世界」で幸せな人生を歩もうとする眼の前の女に、自らと同じく醜いものを見せなくてはならなかった。言い方を変えると、「恵美子さん、こん醜いものをつくってしまった私をどう思いますか?」という問いである。

秘密の暴露と恋の終焉。

到底言葉にできない感情を抱きつつ芹沢は自らの研究を恵美子に話したのだが、それを秘匿してほしいとも頼んだ。もちろん恵美子は秘匿した。

しかし、ゴジラ上陸後の悲惨な状況を前に、恵美子は尾形に秘密をばらしてしまう。2人は芹沢を訪ね、尾形が「オキシジェン・デストロイヤー」のことを芹沢に尋ねる。ここからの流れは胸が締め付けられる。

  • 「オキシジェン・デストロイヤー」のことを聞かれた芹沢はとぼけて知らないふりをする。
  • しかし、恵美子が秘密を暴露したことを知るやいなや、研究室に駆け込み、研究資料を燃やそうとする。
  • それを止めようとする尾形ともみ合いになり、尾形は頭に怪我を負い流血する。
  • 恵美子は尾形の手当をする。
  • 芹沢はその光景を見た後「オキシジェン・デストロイヤー」の使用を覚悟する。
  • 「尾形、君たちの勝利だ。しかし、僕の手でオキシジェン・デストロイヤーを使用するのは今回1回限りだ」と芹沢は述べる

さてみなさん。何故芹沢は「オキシジェン・デストロイヤー」の使用を決めたのだろうか?

上に書かれた流れではあえて省略したのだけれども、この中に本当は、尾形の説得、テレビから流れる女学生たちの鎮魂歌が存在している。もちろんそれらが芹沢の内面に影響は与えたことは間違いないのだけれども、それは芹沢にとって「都合の良い言い訳」になっただけではないだろうか。

おそらく決定打は尾形の手当をする恵美子。芹沢はそんな二人の姿をみて自らの恋の終焉を理解したのだ。

思えば芹沢が恵美子に要請した研究の秘匿は、彼にとって最後の賭けだったのではないだろうか。そしてその秘密が尾形に暴露されるという形で見事に賭けに負けてしまった。もちろん事実だけで十分だったのだけれども、尾形を思いやる恵美子の姿を見て「本当に終わったのだ」と彼は確信してしまった。「尾形、君の勝利だ」ではなく「尾形、君たちの勝利だ」といった芹沢博士の心意気はあまりにも美しすぎる。

あの瞬間に芹沢は「一人で」消えてゆくことを決めたのかもしれない。

ゴジラの醜さ、そして自らの醜さ

結局芹沢博士は「オキシジェン・デストロイヤー」を使用することになるのだが、ラストの船の上のシーンは中々切ない、最初は尾形が一人で潜水する予定だったのだが、芹沢は頑なに自らが潜水することを主張する。それを止めるすべての人、特に尾形は、望まぬ終焉を見透かしているようである。

そして自ら水中に潜った芹沢は、ゴジラの姿をまじまじと目にすることになる。

水爆実験のせいで「生まれてしまった」生物。そしてそれ故に「醜くなってしまった生物」。それは戦争という悲劇が生んだ芹沢の姿そのものに見えたのではないか。

芹沢博士は初めから死ぬつもりだったと思うが、ゴジラの姿を間近に見て、もしかしたら友を見つけたのかもしれない。つまり「戦争が生んだ傷を共有する友」である。

まとめ

以上が初代ゴジラに登場した天才科学者芹沢大助について私が思うことである。少々とっちらかってしまったので、私にとっての芹沢博士の真実についてまとめてみると。

まとめ

芹沢博士は戦時中に大怪我を負った。幼馴染であり、ほとんど許嫁のようだった山根恵美子に対する恋心があったものの、芹沢はその傷故にその思いを押し殺そうとしていた。

ところが、ゴジラの出現によって自らが秘匿していた研究が日の目を見る可能性が出てくる。研究者としての自己顕示欲と恵美子に対する恋心が相まって、芹沢は研究の秘密を恵美子に暴露してしまう。

結局恵美子は尾形にその秘密を暴露してしまい「2人だけの秘密」が公の物となってしまい芹沢の恋は終焉を迎えるが、最後の意地として自らの研究と共にこの世をさることを決意する。

ところが、ゴジラの姿を間近に見た芹沢は、水爆によって「醜い姿」となってしまったゴジラという存在の中にある種の「共感」を発見し、自分「たち」という戦争が残した「醜い」遺物を消滅させるためゴジラと心中した。

ということになると思う。

あまりにも切ない物語である。初代ゴジラのラストがなんとも悲しいのは、「人間の都合によって生まれた存在を人間の都合によって殺す」という自戒の念がるからだけれども、我々はどこか、芹沢博士の苦しみを理解しているから、あのラストが悲しいのではないだろうか。

おまけ:容疑者Xの献身

ここからは完全におまけで、全くゴジラとは関係なのだけれど、芹沢博士と同じような存在を我々は知っているはずである。それは映画「容疑者Xの献身」に登場した石神である。

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芹沢博士が「恋心と自己顕示欲」を混ぜた上で醜い自らを殺そうとしたように、「容疑者Xの献身」における石神もそうだった。石神は隣に住む人への恋心に混ぜて自らの顕示欲を実現し、醜い自分を殺そうとしたのである。

芹沢博士も石神も、その内面の真実をなんとなく理解できるのだが、どうも言葉にするのが難しい。今回芹沢博士についてもまとめようと思ったのだが、文章にならなかったことも多かった。ただ、ここで言いたいのは、石神が芹沢はかせだと思えば「容疑者Xの献身」はもっと面白くなるのではないかということである。石神にとってのゴジラはいったい誰だったのだろう?

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