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【ブレイキング・バッド】ウォルターはなぜジェシーにあれほど執着したのか?

ドラマ「ブレイキング・バッド」はアメリカとカナダで、2008年から2013年まで放送されたドラマシリーズである。非常に人気のあるドラマであったのだが、私が視聴したのは2020年であった。随分遅れてしまったが「流行りものに背を向けたい」という天の邪鬼的に内面がこの遅れをつくってしまったように思われる。

結果的に極めて面白い作品であった。なぜもっと早く見なかったのかと素直に公開できるものだった。

さて今回は、そんな「ブレイキング・バッド」の主人公ウォルター・ホワイトとその相棒ジェシー・ピンクマンについて考えていこうと思う。特に「ウォルターのジェシーに対する異常な執着」にスポットを当てて、個人的に考えたことをまとめる。皆さんも何故あんなにジェシーにこだわるか不思議ではなかったでしょうか?私の考えには納得できなきかもしれませんが、何かのきっかけになればと思います。

まずは簡単にブレイキング・バッドのあらすじをまとめようと思う。

ブレイキング・バッドのあらすじ(ネタバレあり)

主人公はウォルター・ホワイト。彼はニューメキシコ州アルバカーキの高校で化学を教える家族思いの小市民であった。そんな彼は肺癌を患い余命宣告を受ける。それほどの蓄財があるわけでもないウォルターは、家族に財産を残すために、かつての教え子だったジェシー・ピンクマンと共に覚醒剤(メス)の密造と売買に着手した。

密造を主導したのはウォルターであったが、販売そのものはジェシーの知人2人によってわずかずつ行われた。家族のために多額の資金を残そうと考えたウォルターは、より大規模な取引をすべく、地元の麻薬販売の大元締めであるトゥコ・サラマンカに話を持ちかける。

様々な困難があったものの、ウォルターとジェシーはトゥコとの取引に成功するが、ここからウォルターの野心は少しずつ暴走を始める。彼が最初に画策したのは、自らがトゥコに取って代わることであった。

ウォルターとジェシーはトゥコの毒殺を試みたが失敗し、結局はウォルターの義理の弟でDEA(麻薬捜査官)のハンク・シュレイダーにより射殺される。

思わぬ形でトゥコが去ってくれたことで、ウォルターとジェシーはトゥコの後釜として「元締め」を始めるが、かつて「元締め」に見えていたトゥコもより大きなメキシコギャングの一員に過ぎず、ウォルターとジェシーはより大きな渦に飲み込まれている。

その後弁護士のソウル・グッドマン(ジェームズ・マッギル)、フライドチキンチェーン店「ロスポジョス」のオーナーでありアルバカーキ周辺の真の元締めであるグスタボ・フリングらと関わりながら、ウォルターとジェシーは後戻りの出来ない渦に飲み込まれていく。

ジェシーは何度も状況から逃れようと試みたが、結局はウォルターと共に裏の仕事をするはめになり最後の最後まで屈強を脱することはなかった。

一方、裏社会で「ハイゼンベルグ」を名乗っていたウォルターは、裏社会を支配する野望を捨てることが出来ず、何処までも走り続けようとする・・・。


相当省略したが、だいたいこんな話しだったと思う。まだ見たことのない人はぜひとも一度見て、ウォルターとジェシーの顛末を確認してください(少なくともNetflixで見ることができるはずです)。

続いては本記事の主題「ウォルター博士の異常な愛情」について。

ウォルターのジェシーに対する不可思議なまでの執着

最大の悲劇-ゲイル・ベティカーの死-

ブレイキング・バッドを見ているときに、最も不可思議だったのがウォルターのゲイルに対する態度である。ゲイルはウォルターがガズ(グスタボ・フリング)のもとでメスの製造していた際、「一抜けた」をしたジェシーの後釜の助手としてウォルターのもとに送り込まれた人物である。

ゲイル自身は博士号を持った人物であり、ウォルターが製造した覚醒剤「ブルーメス」の純度の高さに感銘を受け、ウォルター(ハイゼンベルグ)にある種の崇拝の気持ちを懐きながら、極めて優秀な助手として働いていた

どう見ても優秀な男だったゲイルのことをウォルターはどうしても気に入ることが出来なかった。ゲイルはウォルターが製造工場に来る前に必要な準備をすべて整え、見事なまでな仕事をしていたのだが、初登場からずっとウォルターは不満を抱えていた。

結局ウォルターはガスに相談し、ゲイルを首にして再びジェシーを助手にしてしまった(ここでも色々あったけど)。

最終的にゲイルは、自らがしたためていたノートが原因で、ジェシーによって射殺されてしまう。

ゲイルがそんなことになってしまったことも、ジェシーがゲイルを射殺しなくてはならなくなったことも、全てはウォルターがゲイルを気に入らなかったことが原因である。ブレイキング・バッドという作品に登場する全ての人物はウォルターのせいで不幸になっていくが、ゲイルはその際たるものだっただろうと個人的には思う。

ではなぜ、ウォルターはゲイルの何が気に入らなかったのだろうか?

ジェシーとの差とウォルターの欲求

まずジェシーのことを思い出してみると、少なくともゲイルほどの科学知識はないし、度々ウォルターに反旗を翻している。旗から見ているとどう考えてもゲイルの方が良いのだが、事実としてウォルターはジェシーを求ている。この事実からいくつかのことが見えてくるように思われる。

まず重要なことは、ジェシーは何度もウォルターに半期を翻しながらも、結局はウォルターのもとに戻ってきているという事実である。つまりウォルターにとってのジェシーは、何度喧嘩していっとき距離をおいても結局は帰ってきてくれる恋人のような存在であった。ウォルターの中には「なんやかんやあいつは俺がいないとだめなんだ」という極めて間違った感覚があったに違いないのだ。この感覚がなぜ間違っているのか?もちろん、ウォルターはジェシーに帰ってきてもらうために様々な嘘と謀略を駆使したからであって、はっきり言ってジェシーはウォルターの幻に、僅かな信頼を向けていたに過ぎないのだ。

さらに、重要なことは「ジェシーは化学に関してはあまり優秀ではない」という事実である。そのため、少なくともメスの合成に関しては完全にウォルターの言いなりであったし、ジェシーがどれほど技術を高めたとしても、ウォルターにとっては自らの優秀さを脅かす存在にはならない。別の悪い言い方をすると、ウォルターはジェシーに対して知的な優越感を常に持っていることができたということである。

そして最後に見えてくることは、ウォルターは全てを掌握していたいと願っているということである。

彼は麻薬密売組織のドンになりたがっていたのだが、彼が目指していたのは「トップがいなくてもうまく回る優れた組織」ではなく「自分がいなければ輝くことが出来ない情けない組織」であったのだろう。したがって、自分がいなくてもうまくやれてしまうゲイルではなくて、自分がいなければ何も出来ない(とウォルターが思い込んでいる)ジェシーの方を好んだし、何よりゲイルは自分を凌駕する可能性があったので、自分の近くにおくきにはなれなかった。

以上をまとめると、ウォルターがあれほどまでにジェシーに執着した理由は

  1. ジェシーには自分が必要だという誤解
  2. 知的優越感を得たいという欲求
  3. はっきりってトップとしての資質にかけるという事実

ということになるだろう。まあ、事実として相当なところまで上り詰めたので、ウォルターが優秀であることは間違いないとは思うのだが、彼の中にはどうしようもない歪んだ自尊心があったということであろう。

そしてこのように考えてみると、ウォルター・ホワイトを唯一肯定できそうな家族への思いも少々違って見えてくる。

「家族のため」という嘘とウォルターの本当の思い

作品の題名になった「break bad」というのはアメリカ南部の方言で「道を踏み外す」とか「法を犯す」といった意味合いを持った言葉だそうだが、そのとおりに主人公ウォルター・ホワイトは道を踏み外していった。

どれほど人を殺しても、野心が暴走しているように見えても、ウォルターの心の中にある根源的な動機が「家族への愛」であると信じていられるところがあったので、ブレイキング・バッドという作品は「おもしろく」見ることが出来たように思われる。

特に初期のシーズンは悪いことをして稼いだ金はことごとく無意味になってしまい、きちんとコメディーになっていた。つまりは、「結局善人に悪事は働けない」という雰囲気が出ていたのだ。

ところが物語が進むにつれて、ウォルターの状況は明らかにおかしくなってきており、「家族」という単語が何かを隠すための言い訳に使われているということがなんとなくわかるようになっている。

本当に家族のことを考えているのなら、少なくともエリオットとグレッチェンの申し出は絶対に受けるべきものだった。

今思えばあの一見でウォルター・ホワイトの本性に気がつくべきだったような気もするのだが、あの状況で金銭的な支援を断る程にどうしようもない因縁があったに違いないと、ウォルターに同情する余地も残っていたことも確かだったと思う。

ジェシーとゲイルのことも踏まえると、結局ウォルターが守りたかったのは

家族そのものではなく、自分のおかげで家族が暮らせるという状況

であったということになるだろう。

確かに彼の気持ちも分からなくはない。なんやかんやと「自分のおかげ」と思ってほしいのは人間の根本的な欲求であるだろうし、それが家族ならなおさらである。

しかしウォルターの思いはそんなものでは済まなかった。

全ての始まりはエリオットと立ち上げた会社を自ら捨てたことだったのだろう。それまで彼は彼の望むように優秀でいられただろうし、一目置かれていただろうし、グレッチェンという優れたパートナーもいた。しかし裕福なグレッチェンの家族に恐れをなし、なんと会社とグレッチェンの両方から身を引くことを自ら選んでしまう。

結局彼は自らの支配下にないものとうまく付き合うことが出来ない男であったということになる。それでただの無能だったら良かったのだが、優秀ではあったがために、ブレイキング・バッドという作品において彼に関わった全ての人々を不幸のそこに叩き落とすことになってしまった。

結局この話は「善人が悪に手を染めた物語(チップス先生がスカーフェイスに変わる物語)」だったのではなく「もともと凶悪な内面を持っていた男の凶悪な内面が明らかになった物語」ということだったのだろう。

しかし我々は忘れてはならない。そういった「ウォルター的内面」は我々のなかにも多かれ少なかれ存在しているものであるということを。我々は「自分の優れた部分」に自覚的あるべきだと思うが、それと同時に「どういうだめな点(劣等感)」を持っているかもキチンと認識するべきだろう。

そうしないと、ウォルターのように自分に関わる多くの人を無自覚に不幸に叩き落とすことになってしまうかもしれない。

彼ぐらい優秀なら、という条件はつくけれど

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